なぜ大仏鉄道は消えたか?
講師:大仏鉄道研究会 事務局長 高橋正男氏
2004年3月24日(水) 18:55-20:50
場所:大阪産業大学 梅田サテライトキャンパス
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←牧歌的な大仏駅の復元スケッチ図 駅前には人力車が3台 待機しております |
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岐阜駅前を走る名鉄電車(路面電車)の廃線が決まりました。皆さんの街でも、そうやって消えていった廃線が多いと思います。
今回は「鉄道廃線跡」をテーマに大佛鉄道を取り上げます。
現在のJR奈良駅からドリームランド近くを経て京都府加茂町まで鉄道が走っていたのをご存じですか?明治31年4月19日から明治40年8月21日に廃止される迄の約9年間、大仏鉄道が走っていました。
大佛鉄道とは、100年以上昔、上記地区を通っていた関西鉄道大仏線の通称で、名古屋方面から奈良の大仏への観光客の誘致を図るため、当時の関西鉄道株式会社によって明治31年(1898年)に設置されたものです。
現在のJR関西本線の奈良駅と加茂駅を結んでいました。開通当時は、思惑通りかなりの乗客があり、大仏駅周辺は賑わっていました。加茂駅〜大仏駅間は、山と谷が入り込んでおり、黒髪山越えの急勾配という当時の蒸気機関車には最大の難所を抱えた路線でした。
明治40年、平坦な加茂〜木津〜奈良ルートの完成により、わずか9年あまりで姿を消しました。大仏鉄道は、現在ではその存在を知る人は少なくなりましたが、その線路敷きは、今は道路に変わり、当時の面影を今に伝えています。トマソンを探してみませんか!
1940年千葉県生まれ。2002年3月大佛鉄道研究会を設立(現在会員38名)
奈良市若草公民館を拠点として、毎月例会を開催。
幻の大仏鉄道の調査・研究・啓蒙を進める傍ら、地域の各グループと共に、京
都南山城地域に残る大仏線遺構の現状保存を呼びかけている。
(社)奈良まちづくりセンター会員。奈良市在住。
大仏鉄道の痕跡は京都側の方に道路跡などになってたくさん残っており、講師の高橋さんから昨年11月に奈良テレビで放映された「幻の大仏鉄道明治時代の痕跡を探せ」のビデオや現地の写真などを紹介いただきました。
奈良の航空写真でも路線跡がはっきりと分ります。(路線跡は現在の国道や県道、町道に変わっています。
この頃の西日本は私鉄が競争していた時代で、関西鉄道も奈良まで接続を目標にしましたが、大阪の湊町から奈良まで接続していた大阪鉄道株式会社との競争で奈良まで入れず、現在の奈良育英高校近くに大仏駅を作りました。一条通りから東大寺までは歩いて20分ほどです。
大仏駅の復元スケッチ図を元に説明されている写真がありますが、何もない牧歌的な駅で、駅前の人力車はまさに現代のタクシーです。
路線はドリームランド前などを通っており、ドリームランド北の黒髪山から降りた所に大仏駅があったため、蒸気機関車にブレーキをかけて駅に止めるのが大変だったそうです。
何と真っ赤な蒸気機関車が走っていたそうで、見たかったですね。大仏鉄道研究会でも探しているのですが、まだ写真が見つかっていないとのこと。
大仏鉄道ですが急勾配の山を越える路線でコストがかかること、また平行して走る奈良鉄道(今のJR奈良線)の買収に成功したこともありわずか9年で廃線となってしまいました。
時代は日清、日露戦争の頃で兵員や物資輸送に私鉄を乗り継いででは問題があるので鉄道国有化施策がスタートする頃
でもありました。
大仏鉄道開通の朝日新聞の記事を見せていただきましたがトップ記事はいわゆる遼東半島の三国干渉の記事でした。
他にもこ関西の迎賓館と呼ばれる奈良ホテル創業に関西鉄道株式会社が関係していた歴史等、面白いこぼれ話を紹介いただきました。